こちらは2020年6月にアメブロに投稿していた記事を再投稿・追記したものです。
地震発生のとき
昨日は大阪北部地震から2年。
時間は午前7時58分、
住まいの震度は、震度6弱(震源地と同様)
息子はすでに登校し、娘は登校準備中でした。
揺れとともに娘がキャーーと座り込み、私はその上から覆いかぶさるようにギュッと抱きしめ、地震がおさまるのを待ちました。
まだ顔も洗っていなかった私は、学校から連絡が来たらすぐ息子を学校に迎えにいけるよう、すぐ準備をしました。
学校からの連絡を待っていたいのですが、準備が終わっても連絡がありませんでした。(児童への対応が最優先ですので)
ヤキモキしてじっとしていられず、息子を迎えに行きました。
学校の様子
学校へ着くと、子どもたちはクラスごとに校庭に並び、先生が点呼中でした。
不安で泣いている子もいました。
記憶に自信はないですが、地震から15分後くらいだったような気がします。
当時の息子クラス担任の先生は出勤前だったので、前年の担任の先生が点呼をされていました。
先生方も動揺されているだろうに、落ち着いて対応されていて、その様子をみて私も少し落ち着いたのを覚えています。
保護者が来ている子から順に、子どもと保護者の名前を言って引き渡しをしました。
息子が小1のときから2年に1度、引き渡し訓練が土曜参観の後に行われています。
そのおかげで、保護者も焦ることなく、息子を引き取ることができました。
あの先生の表情や校庭の様子は忘れることはできません。
運動場で遊んでいた息子は、その場にとっさに座り、揺れがおさまるのを待ったそうです。
ランドセルや水筒は教室に置いて外で遊んでいたのですが、安全確保のため教室には戻らず、荷物は置いたまま帰りました。
息子はこれ以来、テレビに出る地震速報に過敏に反応するようになりました。
追記:2023年の今も地震速報には過敏です。
まずやったこと
まずは電気と水が通っていることを確認しました。
ひとまず電気と水はいつも通り使えたのですが、もう一度同じ揺れが来るとどうなるか分からないと思ったので
水をため、お湯を沸かし、ご飯を炊きました。
○お風呂に満タン、水を貯める
アウトドア用に準備していたジャグにも水を入れました。
○鍋とやかんにお湯を何度も沸かす
そのまま冷ましたり、水筒に熱湯で入れました。
○電気がとまればお金の支払いは現金のみになると思い、コンビニATMでお金をおろす
○食料を買いにスーパーへ行く(レジは長蛇の列です)
○ご飯を炊いておにぎりを山のように作った
何より不安だったのは、食にこどわりの強い息子の食料の確保でした。
○クーラーボックスやキャンプ用品、貴重品、防災カバンを手元に準備しました
子どもの安全と生活を守らねば!といろいろとやっているときは、頭がいっぱいでしたが、
震えるほどの不安と恐怖が襲ってきたのは、こんなことを一通りやり終わった午後でした。
その後の生活
幸いにも大きな揺れは一度だけで、震度4以上の大きな余震はありませんでした。
先ほども書いたのですが、電気と水道は今まで通り使用できたのですが、ガスは止まりました。
我が家は幸いにもIHコンロなので、調理に困ることはなかったですが、
ガスコンロの友人は、1日目はレンジ調理できるものを食べ、それ以降はカセットコンロで調理をしたそうです。
でも、電気が通っているってすごいですよ。
電子レンジと冷蔵庫があれば、しばらくは食べていけます。
ホットプレートも使えるし、お湯も電気ポットで沸かせます。
どの家庭もガスが使えず困ったのはお風呂でした。
近くの公園に自衛隊の方が入浴支援をしてくださったり、ガンバ大阪がシャワールームを開放してくださったり。。。
我が家はパスタ用鍋と電気ポットでお湯を沸かし、それをお風呂に運び、水と混ぜて使いました。
↑これに熱湯を入れ、洗面器の水と混ぜて使いました
真夏や真冬ではなかったのでこの生活でも1週間すごせました。
ガスの復旧は1週間後。
全国の都市ガス会社の方が応援に来られて、1軒1軒立ち合いで開栓してくださいました。
我が家は東邦ガスさんでしたが、あちこちに全国のガス会社さんの車を見かけました。
そのたびに本当にありがたく、涙がでました。
追記:地震後1か月くらいは、毎晩パジャマではなく、服を着て寝ていました
学んだこと
この日までは毎朝キッチンやベランダで家事をしながら、家族に「いってらっしゃ~い」と言っていました。
でもこの日以降、玄関で「いってらっしゃい」と毎日必ず笑顔で見送っています。
昼間に万が一何かあったとき、「いってらっしゃい」をなぜちゃんと言わなかったのか…と後悔すると思いました。
そうでなくても後悔は山のようにあるはずです。
「いってらっしゃい」をきちんとすることで後悔することが1つ減ると思うようになりました。
そして、防災グッズを見直しです。
見直ししながら考えたことが2つありました。
1つ目は地震直後は食欲がなくなるけど、食べなければいけないこと。(私の場合です)
缶詰やラーメンが防災備蓄の定番ですが、それが食べられるようになるころには、国からの支援もあるかなーと。
もちろんそういった備蓄もしていますが、ゼリー飲料などの喉を通りやすい食料も準備しました。
2つ目は自分が怪我などで動けなくなったとき、子ども達だけで逃げさせること。
逃げた子どもたちが両親など親族へ連絡が取れるよう、玄関に置いている防災持ち出しリュックの中に、
夫と私の両親、兄弟の名前と連絡先を書いて入れました。
そして、6月は私の防災グッズ見直し月間と決めています。